第四話 ウロボロス

3.俺から私に


 ”……”

 そうよ……アナタ……もっと……もっと!!

 親父の部屋から二人の睦み声が聞こえてくる。 俺にとっては耐え難い時間だ。

 母が……俺の母が……あんな親父と……

 ”ああっ!……ああっ!……あああああっ!”

 雄たけびにも似た歓喜の声が響くと、苦痛の時間はようやく終わりだ。

 やがて、ドアが開いて母が出てくる。 その時はいつも、奇妙な機械の唸りが聞こえてくるんだ、母の背後から。

 「母さん!もうあんな親父のところになんかいくなよ!母さんには俺がいるだろう!」

 「お父様をそんな風にいっては駄目よ」 母は不思議な微笑で俺を黙らせる、いつも。 「お父様はね、私の、そして貴方の為に働いて

いるのよ」

 「……」 俺は黙って母に背を向ける。


 そんな日常が続いていた……ずっと。 そして、それは唐突に終わりを迎えた。


 「さあ……」 母が俺の背中を押し、俺は親父の部屋に入った、生まれて初めて。

  こんな大きな部屋だったのか…… どの部屋よりも高い天井、奥行き……そして部屋の真ん中に鎮座している黒い物体……

 「これは……卵?」

 それは何人もの人が入れるほど大きな、黒い卵型の物体だった。

 「できたぞ……」 しわがれた声に、俺はようやく親父の存在をを思い出し、そちらを見た。 そしてショックを受けた。

 「親父……なのか?」

 ほとんど白髪になった頭、ぼさぼさの髭、薄汚れた白衣…… 貧相な老人がそこにいた。 かって、ドアの隙間から見た親父はもっと大

きく、妬ましいほどに逞しかったのに……


 ブーン……

 背後で起こった低い唸りに俺は振り返った。 『黒い卵』の一部が四角く開き、母がその脇で手招きをしている。

 「さあ……」

 母に招かれるまま、俺は『黒い卵』に歩み寄り、背中を押されて卵に入る。 中は奇妙な紋様で埋め尽くされ、幾つもの光の点が明滅し

ていた。

 「……」

 言い知れぬ不安がよぎり、俺は振り返った。 四角い卵の入り口の向こうで、母が親父に何か囁やく。 親父の目がわずかに開き、年

老いた顔に困惑の表情が重なった。

 母は黒いドレスを翻し、軽やかな足取りで卵に歩み寄ると、入り口から身を乗り出していた俺を押し込むようにして、卵の中に入ってき

た。 そして、壁の一部をすっと撫でる。

 ブーン…… 唸りが大きくなると同時に、卵の入り口が閉じた。

 「母さん……?」 俺は目の前の母に呼びかけたが、母は応えるず、壁の別の部分を撫でた。

 光の明滅が激しくなり、光の乱舞が中を埋め尽くす。

 「……?……!」 激しい眩暈が俺を襲う。 光の渦に意識が吹き散らされていくようだ。 俺は思わず母にしがみ付いた。

 母のぬくもりを腕に感じつつ、俺は意識を失ってしまった……


 「う……」

 額に優しい手の感触。 目を開けば、いつもと変わらぬ母の笑顔。

 「母さん?」

 「ついたわ」

 母が奇妙な事を言った。 ここは部屋の中の、黒い卵の中だ。 何処に着くというのだろうか。

 母の背後に、卵の入り口が開いている。

 俺はまだくらくらする頭を振りながら、母に押されるようにして卵を出る。


 「来たわね」 若い女の声に俺は顔を上げた。 そこに彼女がいた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 「君は……誰だ? 親父は?親父は、何処に行ったんだ?」

 「私はセネカ」 女はそう名乗った。

 「セネカ……」

 目の前の女は、俺と同じぐらいの年だろうか。 弾けそうな肢体を黒いワンピースの服に窮屈そうに押し込んでいる。 そしてその顔…

…どこか冷たい眼差しの美しい顔は……母によく似ていた。

 「母さん?この子は誰なんだ?」 俺は母を振り返った。

 「貴方は今日からその子と暮らすの」 母は答えた。 「貴方はその子の夫になるのよ」

 「な、なんだって!?」 驚く俺の目の前で、卵の入り口が閉じる。 そして、『黒い卵』が光に包まれた。

 「母さん!?」

 強烈な輝きがに目がくらみ、思わず顔を背けた。 そして輝きが失せた時、そこには何も残っていなかった、『黒い卵』も、そして母も。

 「!」 思わず前に出る俺の肩を、何かが掴み、強引に振り向かせた。 セネカだ。

 「何をする!」

 目の前のセネカがかっと目を見開いた。 そして、金色の目に走る糸のような瞳孔で俺を見つめる。

 「!」 俺の全身を、あの金縛りの感覚が支配し、俺は身動き一つできなくなる。

 「今日から貴方は私の夫……」 細い腕が首に巻きつき、激しい力ず俺の服を一気に引き裂いた。

 「さあ……契りましょう……」 セネカは両手を交差させ、スルリとワンピースを脱ぎ落とす。 蛇の目を持つ白い娘の裸身は、輝くように

美しかった。

 ゴクリ…… 我知らず、喉が鳴った。


 セネカは俺から少し離れ、右手を己が股間に軽くあわせ、左手で右胸をそっと弄る。

 フフ……フフフフ……

 微笑みの形に開かれた唇から、冷たい笑い声が漏れ、細い舌がチロチロと唇を舐める。

 真っ白だった肌に赤みが差していく……それは次第に薄黒くなり、暗緑色の鱗へと変わっていく。

 蛇女に変わっていく事がセネカを興奮させるのか、その逆なのか判らない。 だが、時折俺に投げかけられる眼差しは、次第にねっとり

と熱っぽくなっていくのが判る。

 ア……アアァ……

 セネカの口から漏れる声は、悩ましい響きを帯びて俺の耳から滑り込んでくるようだ。

 はぁ……はぁぁぁ……

 俺は自分自身の声に驚いた。 体が激しくセネカを求めている。 あの鱗に覆われた女体を抱きしめたい。 その思いが体の全てを支

配している。


 フフフ……

 セネカが俺に歩み寄ってきた、そして俺を床に押し倒して、その体を俺に擦り付けてきた。

 ぞわり…… 全身が粟立つような違和感が襲う。 これは……恐怖だ。 哀れな獲物が肉食獣に捕らえられたときに感じる、あの感覚

だ。

 「怖いのね……フフフフ……でも、逃がさない。 もう貴方は私のもの」

 セネカは宣言し、手と、足と、尻尾を俺の体に巻きつけてきた。

 ぐぅぅぅ…… 

 セネカの体が容赦なく俺の体を締め上げ、うめき声が出た。

 ゾゾゾゾゾ……

 セネカの冷たい鱗が俺の全身を愛撫する。 首筋、脇、股間、体のあらゆる急所を、そして敏感な性感帯、セネカの鱗が俺のありとあら

ゆる所に触れている。

 ああ……ああああ……

 「フフフ……可愛いわよ……貴方の蛇もその気じゃないの……」

 セネカの秘所が、鱗のみぞで俺の蛇を何度もさすっているのが判る。 鈴口の真下、縫い目の辺りに擦れる鱗の感触は、金属的な快

感の響きを生み出し、冷たい痺れで俺の股間を固くする。

 だがセネカの鱗は、俺のものから熱を奪い取り、いく事を許さない。 俺の蛇はただひたすらに固くなり、その時を待つことしかできなか

った。 セネカに食われる瞬間を。

 「ヒクヒクいっているわ……もう食べられたくて堪らないんでしょう?」 セネカが俺の顔を覗き込む。 「いいわ、食べてあげる」

 ズ……ブリ……

 硬く閉じた秘所が口を開き、俺の蛇を頭から飲み込むのがはっきりと感じられた。

 あぁぁぁぁぁ……

 熱く溶けたセネカの中は、やはり蛇そのものだった。 強烈な締め上げでいくことを許されず、熱く粘っこい蜜がたっぷりと絡み付いて、

消化液の様に俺のものを蕩かす。 そして激しく蠕動する肉襞。

 俺の頭から思考というものが消えうせ、俺はセネカに支配される肉蛇の付属物になった。

 「フフフ……いいわ……おいで……私の中に貴方を吐き出すのよ……」

 グ……ブ……グブッ……グブッ……グブブブブブッ……

 セネカに誘われるまま、俺の肉蛇は俺自身をセネカに捧げる……言葉にできぬ快感と共に……

 やがて、空っぽになった俺の中に、セネカが『黒い快楽』を注ぎこむ……母の時と同じように。

 ニュルリ……ニュルリ……ニュルニュルニュルニュル……

 心地よい暗黒で満たされていく俺の意識、そこにセネカが囁く。

 「判っているわね……貴方は私の為に働くのよ……」

 俺は答える。

 「はい……私は……判っているよ……セネカ……ойёфойёф……」

 その日から、『俺』は『私』になった。

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